2024年10月29日、豊かなセカンドライフを実現するサロン”早期退職研究所”が主催する企画にて、Xフォロワー5.5万人のインフルエンサーゆりかさんと
「Xの発信軸”好かれる伝え方”にたどり着くまで」
というテーマでスペースを行いました。
\豊かなセカンドライフが実現するサロン/
ゆりかさんは早期退職研究所にある「X運用の部屋」をご担当していただいてます。
本記事は、その時のスペースの書き下ろしです。
お時間になりましたので始めたいと思います。
この度はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございました。
早期退職アドバイザーのみらいのびたです。
人生100年時代を軽やかに居心地のいい場所でお金と健康の心配に無縁な人生を実現するサロン「早期退職研究所」を運営しています。
それでは早速ですね、本日ここにスピーカーとして登壇していただいているゆりかさんをご紹介したいと思います。
ゆりかさんは私のサロン早期退職研究所のX運用の部屋の講師をしていただいています。
Xのフォロワーは約5万5千人を超え、難関と言われているvoicyのパーソナリティとしても日々発信活動をされているインフルエンサーさんです。 じゃあ、ゆりかさん、簡単に自己紹介お願いします。
ありがとうございます。
私は、ただいまご紹介いただきましたXとVoicyで、言葉を変えることで人生を変えることができるというテーマで発信しております。
のびさんから仲良くしていただいてX運用のお部屋の講師の方させていただいております。
どうぞ、本日はよろしくお願いします。
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言葉が変われば、人生が輝く!ゆりか|好かれる伝え方
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よろしくお願いいたします。
今日はですね、せっかくの機会ですのでゆりかさんのXの発進軸、好かれる伝え方にたどり着くまでについてお話をお伺いしたいと思います。
子どもの頃から今に至るまでのところに、もしかしたらインフルエンサーになれる何かヒントがあるんじゃないかなということで深掘りしていこうと考えています。
ゆりかさん、もし良ければご出身とか家族とか子どもの頃のエピソードを教えていただいていいですかね?
私は4人姉妹の長女でいつも家が賑やかな家庭でした。
いつも下の妹の面倒を見るような子ども時代を過ごし、何かあれば「お姉ちゃんだから」っていう言葉も振り返るとありました。
生まれも育ちも北海道の小樽市です。
今では観光名所で有名になったのですが、昔は小樽市って言っても全然どこにあるのかわからない、そんな田舎の町でした。
私の住んでるところは、山もあったり海もあったり川があったりと自然に囲まれていて、外で遊ぶ子ども時代を過ごしていました。
坂が多く、自宅も坂の上にあり、中学校になると自転車に乗るのができませんでした。
小樽市を詳しくご存知がない方もおられるかもしれないので、ちょっとだけ説明させていただいていいですかね?
あの小樽というのはだいたい人口が十万人ぐらいの町です。
で、札幌の北西で、地図で言うと左上って感じですかね。
だいたい札幌から40キロぐらいで電車で40分ぐらいの場所なんです。
小樽と言えば石造レンガやガス灯などレトロで趣のある小樽運河っていうのがすごく有名です。
観光地ですけど、今の街の雰囲気ってどうですか?
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小樽市公式ホームページ
小樽市 :小樽市公式ホームページ|自然と人が紡ぐ笑顔あふれるまち
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今は小樽駅前から下がっていく小樽運河、ここの街並みがやはり綺麗で結構観光客が多く夏も冬も年がら年中、海外の観光客がずっといる感じですね。
最近のインバウンドでね、海外の方が増えているということなんでしょうね。
そうですね。
そういうところで生まれ育ったゆりかさん。4人姉妹の長女だったということですが、どんな学生時代だったんですか?
中学校ぐらいから吹奏楽部に入っていて、25歳ぐらいまでずっとフルートをやってたんですよね。
部活と併せて部活以外でもフルートをやっている、そんな学生時代だったんです。
ずーっとフルート一本で?
そうなんです。
学校以外でもやっていたので学校を卒業しても、仕事の合間に練習したり、パートの職場でフルートを教えたりとかもして。自分自身も先生についてレッスンしたりとかして、長い間フルートを吹いていた時期がありました。
そうなんですね。
ご自身で吹いていた以外にも教えていたりもしてたんですね。
そうなんです。
それは知らなかったです。フルート小さい頃からやってたって...
姉妹も多いし、なんか裕福な感じがちょっと勝手に思っちゃうんですけど、お父様って会社員ですか?
うちの父は自営業で、会社を経営していたんですよね。
父は仕事一本の人だったので仕事を一生懸命やってる姿を見て、普通に頑張るとか、人一倍努力するっていう姿が当たり前に身についたような気が、今振り返るとしますね。
お父様がご自身の会社を経営されていたということで、ゆりかさんはご令嬢ということですかね。
社長の娘さん。
そうですね。
本当にそういうふうに言われた時代も過ごしてきました。それでも会社経営するっていうのは大変なことでしてね。
その後、社会人になって私も父の会社をしばらく手伝う時期はありました。
じゃあそのまま学生時代を過ごした後にお父様の会社に就職したのですか?
実は、1回外で3年ぐらい働いてからです。卒業してすぐは会計事務所に勤務して、それから家の会社の経理でしばらく働きました。
一旦、父さんの会社のに働かずに会計事務所の方に3年間、外の会社に就職されてから、ご家庭のお父様がやっている会社に就職されたと。
そうですね。そういう流れなんですね。
学校の得意科目とかあったんですか?
数学が好きだったのです。計算が得意だったので、自然と数字を扱うところに就職した感じですね。
簿記検定をとり、その後会計事務所に入って数字を扱う経理は面白いな、と思って。
そして、父の方から経理がいないからということで、父の会社に入ったのです。
もともと学生時代から数字が好きで、数学が好きだったから経理事務所に勤めたっていう。
そういう流れですかね?
そうですね。
父は、最初から来てほしかったみたいだけど、私は父の会社に就職するつもりはなく、地元より札幌で働きたいなっていうのがあったので。
ご家庭がお父様が仕事やってるんだけども、お父様の会社には勤める気はなかったのですね?
最初はなかったですね。
それがどういうきっかけでやっぱりお父様の会社に勤めようと、考えを変えられたんですか?
ちょうど私が2、3年働いてる時に、人間関係というか、先輩が厳しくて泣いて帰ったりとかもすることもあって。
社会って厳しいなって母親にぼやいてたんですよね。
その時は母親が父の会社で働いて、銀行対応とか経理とかやってたんですが、母親は私に任せたかったみたいで。
だんだんちょうどいいタイミングに会計事務所にいるからなんとかちょっと考えてみないか、っていう流れになったんですね。
最初に勤めた経理の事務所が辛くて厳しかったっていうのがあって、お母様の方からのお声がかかって、お父さんの会社に就職することになったのですね。
そうですね。慣れてきた頃ではあったんですけども、やっぱり父の会社だったらと思って。
まあ、母親も頑張ってたから少し楽をさせてあげたいなっていう部分もありますね。
で、お父様の会社に勤めてどうでしたか?
他の社員さんも社長さんの娘ということでちょっと特別扱いされそうな気がするんですけど。
そうですね。
そんな大きい会社ではなかったけど、経理は女性社員も多くないので、パートのおばさんと母親とみたいな感じだったんですけど、居心地は悪くなく。でも、人一倍残って遅くまで仕事をすることは多かったですね。
お父様のご期待が強かったんですかね。
つまり、ゆくゆくはゆりかさんに事業を任せようかなんてお考えを持ってたんですかね。
いや...ちょっと業界的に女性の社長が難しかったのです。
経理とか総務、若いなりに当時20代で父の秘書みたいな役割とかもやってきましたけどね。
自然にお父様としては娘だけどもこの仕事を次の世代にゆりかさんになっていきそうな気がしましたけどね。
当時から会議とかいろいろ行ったなあって、今振り返るとパソコンとかもまだ私たちの時代はだウィンドウズあるかないかで。発売された瞬間から講習受けさせてもらったりと、そういう機会もあったと思いますね。
すごく勉強熱心というか、社会人になっても勉強するという気持ち失わずに前向きにされてたんですね。
そうですね。今振り返ると思い出があります。
結局、お父さんの会社にはずっと務めることにはなってないですよね。
どのくらい勤められたんですか?
そうですね...
私も1回結婚してるので、そこで退職した感じで。
その後は今度妹とかが入っていく。 私は結婚して1回離れた感じになりますね。
退職されたわけですね。お父様の会社。
そうですね。
結婚退職されたということで、結局お父様の会社には何年ぐらいお勤めだったんですか?
6年ぐらいですかね。
6年ぐらい...
そうですね。
じゃあその6年間、お父様の会社に勤めて結婚されたので専業主婦ということですかね?
いや、そうでもなくて、まあ専業主婦だったんですけどすぐ離婚したので...
そこからろいろ大変な時期に子どもも小さかったので、パート的な感じで父の会社でぴっちり働くっていうわけにはいかなくて。
少しずつ正社員じゃなくてパートでお手伝いみたいな感じで始めてはいました。
正社員としてお勤めじゃなくて、その時には子どもさんも2人ぐらいいたんですかね?
ですね。
子育てをするという関係上、正社員にならなくて、パートということで過ごされたわけですね。
ですね。
そのぐらいからかな。もうちょっと後からかな。だんだん時代の流れで会社も景気が悪くなってきて。
父の代だけじゃ厳しくなっていろんな企業と合併したりと、どんどん状況が変わってきたりしたんですよね。
それで、しばらくパートという状況、何年ぐらい続いたんですか?
そうですね。そこがちょっと一つの区切りで転職したんですけども、5年ぐらいはいたのかなぁ。
パートという状況で5年ぐらいお勤めされていた。
パートなのかね?正社員だったかな。
離婚してるからね。そこの関係とかもありますけどね。
まあ、パートみたいな感じで正社員レベルでお金をもらっていました。
休みとか子ども連れて仕事してたりとかもしてたけど、それがきっかけで転職したんですけども、5年ぐらいはいたのかなぁ。
辛い毎日だったんですね。
結構、まあ正社員で働いてるけど、父だけの会社じゃなくなっちゃったから、バランスとかその期間で変わったのです。
お父様の会社は一旦どっかに吸収されたんですね。
そうですね。全然違う本社の人とかとか入ってきたんです。
そうすると今までは社長さんの娘っていうことである程度、いろんな意味で特別扱いじゃないですけども、他の社員と違う状況だったんですけど、吸収合併されちゃったから普通の社員になっちゃったんですね。
そうですね。
ポジション的には経理なので、お金がらみの部分は全部そのまま私ががやってたんですけど、まあ私的にはそろそろもう離れたいなと思ってましたね。
その後、歯医クリニックにお勤めになられるですよね。確かね。その経緯というのはなんかあるんですか?
そうですね。
結局そのまま吸収合併されてもいたんですけど、やっぱり辞めたいなと思ってて。
父の会社だから悪くてもいたけど、もう私いなくても大丈夫だなっていうようなところもあったので。
まあ、どこかで転職したいな、なんとか30代のうちに転職したいなって思って、建設会社の経理として就職したんです。
建設会社に?そうなんですね。
転職2回してるんですね。
そこでもうやっと肩の荷が降りました。責任が重い仕事をやってたから。
勇気を出して転職して、自分が元々経理をやってたんで今度建設会社の経理として3年か4年ぐらい勤務しましたね。
ずっと経理を歩んでこられたって感じですね。
そうなんです、はい。
経理の仕事はどんな会社でも共通と言いますか、知識があれば使えるということで、すごくそれはいいですよね。
そうですね。やっぱりいろいろ計算とかも含めてお金を扱うのはいい経験だと思います。
建設会社で順調に経理としての仕事をされていたのですか?
はい。
その建設会社の経理という仕事の後に歯医クリニックに行かれるんでしたっけ?
そうなんです。はい。なんで辞めたかっていうと、ちょっと遠かったんですよ。職場がすごく遠くてもちろん通ってはいたんですけど北海道って冬あるので、冬が2時間ぐらいかかったりするんですよ。大雪になったりすると。
え、それ片道ですか?
そうなんです。下手したら2時間超えたりとか。
もう本当に子どもがまだ小学校とかだったので、この通勤時間が自分の中ではストレスで。
朝も1時間半とか渋滞に巻き込まれると、北海道の冬って道路が狭くなったらもう大渋滞なんですよ。
でもどうしても朝のラッシュとか帰りのラッシュに帰ることになるので、そこの遠さは大変だなと改めて感じて。
併せて結構ワンマンで、パワハラの社長だったのできつくて。
たまたまタイミングがあって、事務所移転することになったんですよ。
業務拡大で大きくなって移転するとなって。
移転先がなおかつ遠くなったんで、これ無理だなと思って。
最初、止められたんですけど、でも社長も怖かったし移転が一つのきっかけで、もうこれ以上家から遠いと通勤厳しいですっていうことで、辞めさせてもらうような感じでした。
会社の移転とパワハラの上司で行くのが辛いという状況が重なって辞めるいうことになったと。
そうなんです。そこでやっぱり遠いところよりは多少給料が安くても近い方がいいっていう選択肢でね。
全く業界も違うんですけど近くの歯医者が募集かけてたので。
計算・パソコンできる人って書いてあったから「パソコンできるわ」と思って。
そこから本当にものの10分もしないところに今まで1時間とか掛けていた通勤時間が本当10分で着くって天国みたいなところでね。
そこからですね、なんだかんだ慣れないながらも今まで男性が多い職場の中で、今度は女性が多い職場で。
そこでまた心病んだりしたっていう時期もあったんですけど、そんな感じですね。
歯医者さんの募集も経理だったんですか?パソコン使う。
履歴書持って行って、経理とかいろいろやってますって書いて、経理を任せるっていう話だったんですよ。
私自身は経理が結構好きだったんで経理の仕事とか好き、そういう仕事の方がいいなと思ったんですけど、結局は蓋を開けるとずっと受付だったんです。
結局、計算とかパソコンも不要な仕事になっちゃったんですかね?
なんかやっぱりお金を他人に任せるのはまだ信用できないって言われて…
そうなんですか?そのクリニックが。
そうですね。慣れてきたらまあ任せるわって言われたのですけど、結局は、任せるタイミングがなかったって。
受付も私が離れると人がいなかったっていうのもあって、経理もずっと経営の年配の方がやってますけどね。
なるほどですね。 今ゆりかさんの発信軸とされている、好かれる伝え方っていうの大部分はこの歯科クリニックの受付で習得した技術なんですよね、実はね。
そうですね。
受付で1万人ぐらいの方といろんな対面して好かれる伝え方が身についたという。そういうことですよね?
そうですね。結局こういうところに行き着いてきたなって。少しずつ発信軸が変わってきて現在に至ってる感じです。
これから後半に向けて、その受付でのいろんなエピソードをお伺いしようと思います。
今までのところをまとめますと、ゆりかさんは、北海道の小樽市のご出身で、生まれて育ちも小樽市。
4人姉妹の長女として、ご家族と過ごされていて、実はお父様が会社を経営していた。
その会社の社長の娘として。 一時期その会社に勤めていた。
中学時代から吹奏楽部でフルートをされていて、フルートの先生もされていたというエピソードも今日初めてお伺いしました。
数学がお得意で経理一本で会計事務所とかお父様の会社とか建設会社とかで経理のお仕事をされていたのですが、最後にお勤めになった建設会社で事務所の移転だとか、人間関係とかいろいろあって、近くの歯医者さんでお勤めすることになったというのが今までの簡単なおさらいになります。
これから後半戦お話を進めるんですけど、実は、ゆりかさんのXの発信軸「好かれる伝え方」のほとんどがこの受付でご経験されたことが影響しているのですね。
ということで、ここを深ぼっていこうかなと思います。
じゃあ、この後半の方、これからちょっと話進めていきますね。
はい。
歯医者さん受付の業務なんですけど、具体的にはどんな業務になるんですか?
患者さんのために事務仕事するのかと思うんですけど、具体的にはどんなお仕事でしょうか?
経理ずっとやっていて、期日が決まった仕事をしていた時期が長かったんです。
決算とか会計事務所もそうだし月末処理とかいろいろやってた中で、クリニックに入ってびっくりするぐらい淡々と毎日同じことをやるっていう。
私の中で「これでいいんだろうか」っていうような。
ただ受付してパソコンで入力して会計っていう一日の流れで、あとはレセプトっていうのが月一回あってその集計とかの時間が(さほどかかんないんですけど)ちょっとある。
ほとんどがびっくりするぐらいのやり方で、私が副業できたという部分でもあるんですよね。
その毎日淡々としたお仕事なんですけど、そこから今の発信軸の好かれる伝え方っていうのは、やっぱり患者さんとのやり取りの中で生まれてきたんですかね?
最初はですね、職場の人間関関係という部分が発信の軸になってたんですけど、結構ネガティブなことを発信してもあんまり良くないなっていうことだったんです。
それで、少しずつ前向きになろうって発信したら、伝え方が違うと言葉変えると自分の気持ちも変わってくるよなっていうのに気がついて。
発信しながらいろいろ自分の過去を思い出したりとか。
患者さんとのやり取りで、印象がいい人は今でも結構、覚えてたりするんですよね。そういうのがどんどん発信していって蘇ってきて、そういえばこういう人いたよな、逆にすごい印象悪い人とかもいるし。
そこが8年って結構長くて本当に淡々とした窓口業務の期間が長かったんで、人を観察する時間がすごい長かったんですよ。
すごい観察してて、待合室で待ってる時、ずーっと状況を見て、あ、今日は大丈夫だなとか、例えば混んできた場面とかで何か困ってることないだろうとか、いろいろ受付の場所から全部待合室が見えるので。
そこを見ながら、高齢者がすごい多かったので目を配ったりとか、足が悪い人とか、障害の方とかったんで、来た瞬間「あ、この方喋れないな」とか、この方そういえば目が悪かったなとか、もう完全に障害っていう方も多かったんですよね。
全部メモで書くっていうような患者さんも多かったんで、そういう方は一発で覚えて来た瞬間から対応ができるところまで日々のスキルを身につけました。
人を見て観察する力が受付を通じて養われていったと。
そうなんです、だからやっぱり人って面白いなあって。
ちょっとした待ってる姿とかも人それぞれ違うけど、私がよく印象がいいっていう表現するのは待ってる姿一つも姿勢がいいなとか、こういう風にしたら感じが悪いな、とかを自分なりの観察がついちゃって。
こう気をつけなければいけないなとか、こういう言葉遣いとか、嬉しいなとか、いやだなとかっていうのが発信しながらどんどん思い出してきて今の発信軸になってきました。
なんか今の話聞くと、患者さんから教えられたっていうそんな風に思っちゃったんですけど。
ゆりかさんがすごく好きになるような患者さんの話し方とか、そういう患者さんに巡り合ったと。
そんなイメージですかね。
そうですね、本当おっしゃる通りで、私自身ができてるわけではなくて、いろんな人と接すると、こういうふうに歳を取りたいなとか、いろいろ出てくるんですよね。
こういう優しさって嬉しいなとか、いろんな業者の人、歯科クリニックに就職してよかったなって思うのは、普段出会うことのないような人たちとかが歯痛くてくるから。
経営者の方もいれば、ちっちゃい子どももそうだし、例えばね、同じ業種の隣の院長さんとかが来たりとかね。内科の先生とかなかなか自分が普段生活している中、経理として働いてたら、こういう人は出会うことはなかったなっていう人方とも話をすることが多かったので、それが発信軸にしていろいろ思い出されるのがここの部分だったんですよね。
受付だと診療時間のある時はもうほとんどそういういろんな人のお相手をするということなので。
中には嫌だなという話方の人もいればはこの人の話し方素敵だなっていう人もいるという。
そういう中で好かれる伝え方には特徴があるね、とか共通性があるね、ということにゆりかさんが学習していったっていう感じですかね?
はい、そうですね。
で、それが今の発信軸になっていると。
何か特に印象に残っている患者さんとのやり取りって思い出ありますか?
いろいろあるんですけど、私は北海道なので患者さんは、農家の方が多かったりとか。
農家、漁業、本当に北海道なんで農家の方が自営業の方が多かったんですよ。
年齢も結構上で、まあ漁師だとか農家だという自営業の方。
ちょうど昭和世代。もう60、70、80歳もですけど、この世代の患者さんが歯医者によく来てね。なおかつ農家やってます、漁師やってます、という方も多くて。
そういう人話しやすいんですよね。農家の人とか気さくに話をしてくれるし。
時期になると、かぼちゃあるよ、いるかい?って感じがあって「いります」とかっていう感じで、かぼちゃもらったりとか。
もちろんクリニックとしてもらうんですけど、とうきびもらったりとか、なすびを大量にとかね。
そういうのも多かったんですよね。
高齢の方が多いっていう所が、自分では気づかなかった、こういうこと大変なんだなとか、歩き方とかもこれがあると大変なんだなって、いろいろな当たり前にでききることが高齢者の方ができなかったりすることも多くて、そういう気配りとか、気がつかなかったことに気づけたのもあったのですよね。
高齢者になると一人で行動できないので付き添いの方がいたり、夫婦で協力しながら来る、介護を見ると家族の団結ある家庭もあれば、いろんな家族模様も見られたんですよね。
親子ってこんなに似るんだなっていうぐらい親子が似てたり、夫婦が似てたり、理想の夫婦像もいたり、なんか歯医者って子どもも来るけど、親も来て3世代通ってくる患者さんもいたんですよね。
田舎なのでお友達のような感じで仲良くなる方も多くて、私がくる前からそういう感じなんで。
普通に「うちのお父さんね、どうのこうの」とかっていうのとかもね。
友達のような感じで話をしてくださったことも多くて。
ほんと古くなるとすごいなって思ってます。
その狭い空間で全然日頃会わないような人たちと毎回お話ができるということで、すごくいい経験されたということですね。
印象に残るのって、こういうことなのかなって思ったんですよね。
ずっと経理の仕事をしてもエピソードって正直あまり出てこなくて、仕事はこなせただけなんです。
ただ数字合わせて終わるってなるけど、でも生きてきた過程で振り返って、自分の棚卸をしようと思った時に、人と人とのつながりなんか一番大切なんじゃないかなって思ったんですよね。
これが自分の中で残ってるっていうことは、もっと深掘りすると自分の中で良かったこととか悪かったこととかが出てくるんじゃないかと思って。
どんどん伝え方っていう言葉、表現変えると自分も前向きになれるっていうのが自分の中で思えてきて。
これがいま、前向きに生きようっていうような気持ちになれた気がします。
歯科クリニックでのいろんな人とも関わり合いっていうのが、今の発信のすべての情報ソースになっているという感じですね今の話聞くと。
そうですね。
Xは最初から始めたんでしたっけ、最初は別のことから始められたと、うかがっていますけど。
最初はブログの副業やってたのです。
その後メルマガもやって、そのメルマガの集客でSNSをやろうとしてXを始めたんですよね。
その時のブログは伝え方とか歯医クリニックのご経験をブログにまとめてたんですか?
実は副業としてやってたんで、全然関係ないアフィリエイトで収益を上げるというブログだったので、今は手放したんですけど、当時は自分のお金になるブログだったんです。
ブログの稼ぎ方という感じの発信だったんです。
意外!そうなんですね。
メルマガはどういうことを発信されてたんですか?
メルマガもブログの稼ぎ方です。
メルマガとかブログを周知、人に知ってもらうためにXを始めた流れですかね?
はい、そうです。
Xの発信する内容もブログに誘導したり、メルマガに誘導したりってそんな感じだったんですよね。
そうなんです。
へえ、今から想像つきませんね。
そうなんです。このアカウントでそのままブログの稼ぎ方っていうか書き方というか、そんな感じで。
ただやっぱりブログって上には上がいるので発信したら恥ずかしくなったんですよ。
何百万とか稼いでるという訳じゃないから、すごい人方と比べてたので当時は。
ブログでの発信は弱いよなと思って、いろいろ見ながらこういう発信もあるんだなって、どんどん変わっていった感じです。
いつからXの発信軸が好かれる伝え方に変わっていったんでしたっけ?
ええとね。最初はそのブログで副業やってたんですけど、当時から職場の人間関係に悩んでたので、愚痴を言ってたんですな。本当にね、ネガティブだったんですけど。
Xで愚痴を発信されてたんですね。
そうなんです。上司イヤ、もうなんでこういう言い方するんだろう、みたいな感じのはけ口というか、SNSはそういう所だと思ってたんですよ。
なんでもいいからもうなんかはけ口みたいな。
上司イヤだみたいな。多分、そんな嫌な言い方ではないんですけど、車で「うわ~!」って叫んだとか。
そんな感情的な時が多かったんです。
もう誰も見てないしなぁ、みたいな感じで職場の人間関係のグチみたいなところから、あんまりネガティブはよくないんだなと思って、少しずつ前向きの方がいいなって自分で発信して思考が変わっていきました。
完全に今の形が出来上がってくるはどのくらい前ですかね?
そうですね。職場は人間関係で、いいことを言うより、あんまり余計なこと言わないほうがいいよっていうような発信がバズったんですよね。
それいつ頃ですかね?
ええと、いつ頃ですかね…
今4年経つので1年経ったときはまだバスったことがなかったんです。
1年経って5,000人しかいなかって記憶があるので開始して1年半ぐらいですね。
前向きな発信軸に変えたのが、1年半後ぐらいで、そのポストがきっかけでバズったと。
ゆりかさん的にはこっちの方向性でいこうとだんだん形がついてきたって感じですね。
そうです。本当にそういう感じで、徐々にあ、やっぱりこう人に響く言葉っていうのはこういうことなのかなっていうのを掴んだ感じですね。
1年半後...
その時もまだ1万人は行っていないですよね。
そうですね。なんか1年経って5,000人だったから1年半でバスって。
今で言う相互フォローみたいなのもやってたんで、そこもちょっと見直しかけたりとかして。
でも本当2年は経ってないと思うんですけど、その1年半から2年の間で徐々に増えて、1万人行ったかな?確か2年も経ってないと思うんで。
今5万5千人だから。それでも4万5千人は、今の発信軸で伸びていったっていうことですもんね。
そうですね。はい。
それからは順調に伸びていったじですか?今まで。
いや、全然順調でもないですね。
やっぱ伸びは緩やかに緩やかに。
ずっと伸びない感じもあったんですけど、本当は波あって、ばぁって伸びた時も1回変わっていった時はそのまま、うまい具合に伸びた時もあって、また伸びなくてとかってこう繰り返しですね。
発信軸的は変えずということですね。
そうですね。受付8年勤務してわかったこと、みたいな感じで、今もたまに言うんだけど、冒頭文とか権威性的でうまくいったポストが多かったんで、ここを軸に、あとは職場の人間関係で悩んでいたんで、悩んで分かったことみたいな、こういう2本立てで伸ばしてた感じですね。
今、ゆりかさんのポスト毎朝チェックされている方は、もうゆりかさんといえば図解っていうイメージが強いかと思いますけど、実は図解始められたのも昔じゃないですよね。今年に入ってからでしたっけ?
そうですね。あの全然長くなくて今年の5月はまだテキストで、6月後半ぐらいからなんとなく図解を作ってみたいな、学んでみようかなと思って、Canvaでやり始めて。
そこから少しずつですね。最初、時間かかったんですけどやってみると結構面白いし、ストックが溜まってくるのでいろいろ使い方もあるなって。
今10月だからそうですね。4ヶ月ぐらいですね図解始めて。
でもこの4ヶ月で2万人以上増えてません?
そうなんです。なんか6月にすごい一気に…
今年の5、6、7月あたりで結構伸びたんですよね。
だから多分1ヶ月で5,000人とか、一気にばっと増えた感じですね。
図解のちょうど反応よかった時に波に乗った感じです。
やっぱり急激に増えたというのは、図解が大きく影響している?
そうですね。図解大きかったと思います。
図解でバズってフォロワーさん伸びた時期が多かったんで。
図解がいいよって言われてだいぶ経ちますけど、図解でも伸びる人と伸びない人がいますよね。
ゆりかさんはうまく発信軸を変えずにそのまま図解にしてわかりやすく伝えるのがあるので、すごくフォローされる図解ですもんね。
いやあ、いろいろ考えてね。
まあ、どういう感じがいのかな、ここは本当にうまく刺されば、本当に共感をしてもらえるし、自分でいい出来栄えだなと思う時もあれば、全然ダメだったということもありますね。
いつも私、朝ゆりかさんのポストみるんですけど、感心して見てるのが、ブックマークがすごく多いんですよね。
そうですか、ありがとうございます。
やっぱり図解だからみなさん後でしっかり読もうという人が多くて、ブックマークする数が多いのでしょうね。
あれはいいですよね。有益だって感じてもらってるんですよね。
いや、嬉しいですね。
なんか一応そういう思いでね。図解保存してもらえればなと思って、ブックマークしてもらって嬉しいですね。
あのうさぎちゃんも可愛いしね。
いや、そうなんですよね。あのキャラクターが1個入るだけでそれこそ伝え方の言葉以外の表現力っていうのもあるのかなと思いますね。
真面目一辺倒だとなかなか硬いし、ああいううさぎちゃんが入ることでなんか抜け感というかなんかホッとするというかね。
そうですよね。なんかね。言葉は普通にキャラクターが1個入る、あのうさぎさんのキャラクターが伸びる。
なんか可愛いねっていう声が多いんで、もうおかげさまでね。本当に可愛いキャラクター使わせていただいております。
伸びる図解私見てて、まあ他の方もそうなんですけど、真面目な感じよりも、ちょっとその中にこういう抜け感っていうかホットするようなイラストがあればいい感じがします。
やっぱりそうですよね。見飽きたかなと思って、たまにウサギちゃんちょっと変えたりするんですけど、あったほうがやっぱみんなこう喜んでくれる。
やっぱり可愛いね、って声があるってことはキャラクター1つで私助けられてるような気がしますね。
ゆりかさんのカラーであるピンクのうさぎちゃんだから、ちょうどカラーも。
たまに出てくるリスさんもも好きですよ。
そうなんです。可愛いですよね。あれは多分同じイラストを描いてる方で、またちょっと違ううさぎちゃんも出てくるんですけど、どっちがいいのかなと思ったら、ピンクの方がイメージが強いのかなっては思っていますね。
まだ始められてまだ数ヶ月。
Canvaで作られているということなんですけど、今はもう相当上手になっておられますしね。
実は私のサロンの公式ラインの方で11月2日にCanvaの講習していただくんですよね、ゆりかさん。
はい。
これは公式ラインに登録していただける方限定にはなるんですけど、30分のCanvaの使い方をゆりかさんの方にご指導いただくというイベントも考えているところです。
はい。
もうそろそろ1時間経っちゃいましたけど、早いですね。
ゆりかさんはX発信のインフルエンサーではあるんですけど、Voicyのパーソナリティでもあります。明日が発信300回なんですよね。
そうだ、明日、Voicy300回目ですもんね。ありがとうございます。
聴いていますよ。
ありがとうございます。
休日は発信されてないですけど、平日はもう欠かさずずっとVoicyされていてすごいなと思って。
今日もねなんか話の弾ませ方みたいなお話をされてましたけど。
ありがとうございます。
はい、そうですね。
ああいうネタを探すのも大変ですよね。
いや、そうなんですよね。Xのネタをそのまま持ってくるか前もそういえば言ってたかなとか、結構かぶるので。
そういう時は書籍を図書館で借りてきたりするので、書籍の内容ここかなとか、いろいろ変えながら淡々とね。
後から振り返ると書籍の紹介だけでは寂しいので、自分のエピソードもちょっと入れたりとか。
ここに関しては難しいというか試行錯誤でVoicyって正直なところ感情が乗らない時もあるんです。
やっぱり人間なんで私も。
気がつかなかったです。
いつもな元気なわけじゃないので、ちょっと感情が乗らない時も、テキストならそのままやればいいけど声なんで、モチベーション的には朝、気をつけなければなと思ってるところです。
あっという間の1時間でしたけど、どうもありがとうございました。今日来ていただいた方、ありがとうございました。
ゆりかさんとは、私、実際にお会いしたことあるんですけど、とっても物柔らかな声の通りの素敵な女性です。
インフルエンサーというとなかなか近づきにくい存在だと感じておられる方もいるかもしれませんけど、今日お話聞いていただいた方わかるように普通だし、なんかいろいろご苦労の元にいろんな経験を経て今インフルエンサーになったという、人間味の溢れる会話ができたかなと思います。
ゆりかさんどうもありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。
告知ないですか?せっかくですのでゆりかさんの方から。
あ、ないです、大丈夫です。
ぜひあのVoicyの方のびさんに言っていただいたので、ぜひVoicyの方も聞いていただけると嬉しいです。
そうですね。ありがとうございます。
私の方から、今回はあの早期退職研究所という、私の運営しているイベントの一環として、このスペースを開催させていただいています。
先ほどもちらっとお話しましたように、11月2日の20時から20時半にかけて、30分間公式ラインにてミニ講座で、ゆりかさんにCanvaの講習をしていただきます。
あと11月16日にですね、ゆりかさんに今度はサロン内になりますけども、20時から21時「X運用の中級編」ということで1時間がっつり、どういうポストをすれば増えるのかっていう、みなさんが興味を持たれるような講義をしていただくという予定でございます。
今日は本当に1時間あっという間でしたけども、ご参加の皆さんもどうもありがとうございました。
本日はこれにて終了させていただきます。
好かれる伝え方という発信軸で毎朝Xの発信を継続されているゆりかさん。
声のプラットフォームVoicyでも自身の想いを積極的に発信され読者の悩みに答えて頂いています。今回のスペースでゆりかさんにも過去の辛い経験を何度ものりこえて今の発信軸にたどり着いたことが明らかになりました。
ゆりかさんをもっと近くで感じたい方は、サロンでお待ちしています。
ますますゆりかさんを好きになるでしょう。
サロンのご入会は↓から。
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